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Update on 03/12/2006

 

団塊症候群 更新日 2006年3月12日

団塊世代の心の悩み
団塊症候群とは私が命名した言葉で、「中年の危機」に相当する「熟年の危機」であると考えています。
熟年特有の徴候もあれば、中年から持ち越して未解決の徴候もあります。


<男>
 熟年離婚、家庭内別居、父性の喪失、不倫願望、リストラショック、中高年自殺、定年ひきこもり、濡れ落ち葉
<女>
 熟年離婚、家庭内別居、家族依存症、不倫願望、介護うつ、子育て空の巣症候群


本文

1. 熟年離婚
2. 遅すぎる?男の反省
3 空洞化する核家族

熟年離婚


はっきり言うと、「夫の定年を機に妻が離婚を申し出る」ことを熟年離婚、として考えます。その逆は、あまり取り上げる意味がないと思う。夫が離婚を申し出るのに、定年を待つ、ということは無いでしょう。

厚生労働省の調査では、離婚件数、離婚率、ともにここ2,3年減少気味ですが、これは2007年から離婚後の年金が夫婦分割可能になるために、今はじっと潜伏している熟年妻が大量にいることを物語っている、と考えられるのではないでしょうか。嵐の前の静けさ・・・。脅かす気持ちはないのですが。

さて、夫は、熟年離婚を防ぎたいのか?
定年後の第二の人生を、夫は「妻との暮らし」を中心に考えていることを思うと、熟年離婚を防ぎたい、と言うのが一般でしょう。
TVドラマの「熟年離婚」の場合も、突然妻に宣言されて、おろおろする夫の姿がみじめでした。
それでは、その対策や回避方法は明確に分かっているだろうか。
その試みがなされているだろうか。
妻は、もう、子どものために我慢したり、ゆずったり、黙っていたりする存在ではないのです。一個人としての独立した生き方を望んでいるのです。
家庭作りや子育てのために、あなた働く人、私家を守る人、という役割分担は、過去の遺物で、妻側は賢く現代の生き方を学んでいるので、それが真のパートナーシップではないと分かっているのです。
これからは二人だけの生活になることを思えば、家の、子育てのパートナーではなく、二人の生活の相手・コンパニオンとして、パートナーとみなせるかどうか、一緒に居たいと思える相手かどうかが、問われているのです。
相談してみませんか?
こんな私事を他人に相談するなんてできない、と中高年は思いがちですが、それも過去の遺物。
遠くに居て、自分のことを気にかけてくれている友人に声をかけるような気持ちで、相談してみません
か?


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 遅すぎる?男の反省


あるセミナーに行った時のことです。産業カウンセラーのセミナーだったので、参加者は30代から50代まで、600名ほどでした。
講師が、皆を立たせて、目をつぶらせ、今一番大事に思っている人のことをこころに思い描いてください、そしてその人に「これからもよろしく」と言ってください、と言います。それから、2,3のワークがあったのですが、その後で、皆さんの大事な人とは、誰でしたか、というアンケートがありました。
 細かい事を省いて言いますと、40代、50代の男性の多くが「妻」だったのですが、女性の方は「子ども」だったり「親」だったり、「友達」だったりで、なんと「夫」という答えはゼロに等しい、有様でした。
 定年後の暮らし方について、男は「妻とゆっくりした日々を送りたい」と思っているのに反し、女は「夫との行動は嫌、定年後は自分の好きなことをやりたい」という意見と符号する。
 どうして、このような意識の差ができてしまったのだろう。
 まず、男性はこの事実を知っているのだろうか。
 自分の家庭は大丈夫、と思っているのではないだろうか。
 夫婦の間に会話のないことを、男はあまり心配していない。結婚して、子どもを育て、十何年も一緒に居れば、以心伝心で、いちいち会話なんかしなくたっていい。信頼感は伝わっているだろう。お前も俺も家族一体ではないか。そのように考えているのではないか。妻の母性を信じているのかもしれない。
 これって、随分甘い考えじゃないだろうか。男は全然進歩していない。
 母子密着のために様々な子どもの問題が取り沙汰されて、そこに父親不在がからんでいて、そんな時代に、妻の悩みや不満に、真正面から向かわなかった、ことがなかったか。
 会社員生活に自分のエネルギーの全てを注ぎ込んで、家では抜け殻同然ではなかったか。実際、サラリーマンは自ずと滅私奉公になってしまう傾向にあった。年功序列、終身雇用ということを信じさせられた高度成長の時代は、会社への忠誠が暗黙のルールだった。人間としての喜びや、悲しみや、達成感など、喜怒哀楽、すべて企業内生活のなかで味わっていたので、家庭に持ち込むエネルギーはもはや無かった、と言えるかもしれない。妻に、会社で遊んでいるんじゃない、必死で家族のために闘っているんだ、といっても、それは単なる自己主張としか響かない時代になっている。そんなあり方が合理的でなかったことは、バブルがはじけて無残にも証明された。
 妻たちは、フェミニズムの台頭で、賢くなっているんです。
 夫たちは、母子密着ならぬ、夫婦密着を、夢見ているのか。反省が、必要です。

 「ふたり暮らし」とか「ふたたび出会うために」とか、そういう視点で、もう一度見直したいものです。

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 空洞化する核家族


最近、団塊世代の定年退職後に照準を合わせて、いろいろな動きがあるようです。
「団塊世代、黄金の十年」が始まるという、元気な見方もあります。
その中で、長年暮らした都会を離れ田舎で暮らそう、という動きに、人気があります。
やはり、そうか、ですね。
年金をもらいながら、畑でも耕し、晴耕雨読の生活で、地方に何か貢献でもできれば最高だと思う人が多いのでしょう。
自分の故郷に戻ろうとする人や、出身地に関係なく、好きな田舎を全国から選んで、住もうと考えている人が増えています。
忙しい企業生活で、実現できなかった、あれもこれも、田舎で実現しそうな気がします。
妻との落ち着いた生活、子供たちにこころ配りをしてやれるたっぷりした時間。
男からみると、ひとつの辿り着いた道、かもしれない。
しかし。
先日、57歳の北海道出身の、Uターンを考えている男性の話をTVで見ると。
故郷の役所から送られて来た、いろいろな生活提案を受け、本人はその気になっているようでした。
ところが、二人の娘はまったく反対。「一人で行けば」、と明確に応えます。
田舎暮らしなど、全くの想定外のお話のようです。
その冷たく言い放つ仕方に、こころのつながりや、思いやりが感じられません。
たよりの妻は、とまどいながら、無関心。
自分にその気はないものの、夫の思いを壊してしまうほどの意思もないようなのです。
今は、反対しないで、夫にその気にさせて、やはり現実の時が来たら、おひとりでどうぞ、かも
知れないと読めます。
定年後、四六時中一緒に居なければならないことに、恐れをなしている妻が多いと聞きますので、このご亭主が田舎に行ってくれるなら、結構な話だと、妻は思っているのかもしれません。
あと2年でどうなるか。
潜在的な、熟年離婚のケースかもしれません。

TVを見る限り、この家庭に、求心力というものが、無いことがわかります。
みんな一人ひとり、自分のことばかり考えているようです。
現代の、社会問題、家族問題の、そもそもの根源は「核家族」にある、という説得力のある見方があると思いますが、その核家族すら「空洞化」していると言えます。
このお父さんの場合も、自分自身の定年後の生活をどう見るか。
まず、自分自身のために、もっとも価値ある生活を望もうとするのか。
あるいは、今一度、これまでの生活を省みて、自分の価値観をひとまず脇において、家族のために、という価値観を最優先してみるのか。

過去の30年間の生活を、どう見るかにかかっているように、思います。


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